八九六四
曝光
危険な16才 (1973) Mamoru Watanabe
Internet Archive · pinku-eiga-society·2026-09-27·Mamoru Watanabe

危険な16才 (1973) Mamoru Watanabe

pinkupinku-eiga-societyarchive.orgmovies
「

他們以為時間會掩蓋一切,但時間恰恰是真相最忠實的盟友。

危険な16才 (1973) Mamoru Watanabe

妄執の夏、眩暈のカット、そして暗黒の「狂熱」:渡辺護監督『危険な91才』(1973)とピンク映画地獄変の美学序章:渚の白いビキニと、狂気のセミしぐれ真夏の熱気が網膜を焼き焦がす。画面いっぱいに広がる渚のビーチサイド。波打ち際を白いビキニスタイルでたおやかに、だがどこか世界を嘲笑うかのようなステップで歩く一人の少女・ひろみ。そこに被さる重苦しくも甘美なアフレコのフォーク歌謡。どこか高中正義のトロピカルなギターリフを想起させつつも(いや、耳を澄ませば全然違う。

もっと安っぽく、胸を締め付けるような)、スクリーンにはドデカく『91才 白い性』という狂ったタイトルが踊る。この冒頭数十秒だけで、私たちは映画という名の底なし沼、いや昭和ピンク映画という異形の洞窟へと一気に引きずり込まれるのだ。渡辺護。日本の映画史において、これほど異彩を放ち、これほど現場で恐れられ、これほど泥臭い活動屋の魂を燃やし続けた巨匠がほかにいただろうか。

彼が1973年に世に解き放った問題作『危険な91才』は、昭和ポルノの単なる「消費されるエロティシズム」を完全に逸脱し、過剰な構図とカット割り、そして人間のドロドロとした情念が渦巻く極上の「妄執サスペンス」として立ち上がってくる。真夏。パパの別荘。パパの帰りを心待ちにする娘ひろみが身に纏うのは、白い地に赤い水玉模様が踊る鮮やかな部屋着ウェアだ。このファッションの絶妙な70年代感! ファッションセンスの疎さを自認する人間であっても、この「昭和少女の夢と病理」が凝縮された赤と白の水玉模様には、どこか胸を突かれるようなエロスと無邪気さの同居を感じざるを得ない。

だが、この静寂は一瞬にして打ち破られる。第1章:アベックの乱入、コーラ避妊法、そして『卒業』パロディパパがようやく帰ってきたかと思いきや、車から降り立ったのは見知らぬアベックである。車上生活で行き場を失ったというその悪友カップルは、あろうことか赤の他人の別荘であるこの部屋に上がり込むやいなや、「泊めてくれない?」の一言で強引に布団を敷き詰め、挨拶代わりに壮絶な性愛をはじめはじめるのだ!この別荘の一室で繰り広げられるセックスシーンの熱量を見よ。重ね合わされる足首のねっとりとしたクローズアップ。お互いの肌から溢れ出すじっとりとした汗。

外ではセミが「ジージー、ジージー」と耳鳴りのように狂ったように鳴き叫び、真夏の狂熱が画面全体から蒸発して湿気となって迫ってくる。汗に濡れた乳首のクローズアップ、絶頂に歪む顔面のクローズアップ! これぞ、昭和ポルノが到達した狂熱のワンダフル・セックスシーンである!そして恐るべきことに、彼らが激しく交わり合っている最中、カメラは唐突に冒頭の「渚のビーチサイドを白いビキニで歩くひろみ」のカットへと回帰する。この時間の跳躍、意識の交差! 単なる濡れ場の挿入にとどまらない、渡辺護の変幻自在な編集リズムがここで炸裂している。

行為が終われば、男も女もケツを丸出しにしたまま、赤の他人の冷蔵庫を勝手に開けて食べ物を貪り食う。さらに驚くべきは浴室のシーンだ。女はあろうことか、アソコにコーラをぶっかけて洗い流すという、当時まことしやかに囁かれていた「昭和の迷信(スーパースティション)」的避妊法を平然と実践してみせるのだ! コーラの炭酸と糖分で精子が死ぬという都市伝説を、大真面目にスクリーンで演出するこの時代感覚。用が済めば、アベックは挨拶もそこそこに車で去っていき、ひろみは振り返りもせずにただその背中を見送る。だが、ここで何より刮目すべきは「カット割りと構図の異常な凝り方」である。

別荘の2階ベランダから、ひろみが「パパが帰ってくるはずの車庫」を見下ろす俯瞰カット。降りてきたのが無関係な図々しいアベックであったという落差もさることながら、この画角によって別荘の立体的な奥行きと空間の孤独感が鮮やかに立ち現れる。思い返せば、渡辺護の傑作『少女を縛る!』において、水面に反射する少女の姿を捉えた奇跡的なアングルがそうであったように、渡辺護は「空間の陰影」と「視線の高低差」によって登場人物の情念を表現することに長けた鬼才なのだ。アベックが去った後、ひろみは当時の『週刊セブンティーン』をパラパラとめくりながら、ベッドの上で軽やかに足を投げ出す。

この一瞬のポージングを見逃してはならない。これは映画『卒業』のあまりにも有名なポスター、あのアン・バンクロフト(ミセス・ロビンソン)が脚を画面手前に投げ出している構図を巧妙かつ大胆にオマージュ(というか確信犯的にパク)ったカットである! 少女の幼さと、男を狂わせるファム・ファタールとしての威圧感が、この一本の脚の構図に凝縮されているのだ。第2章:父と娘の異常な密月と、産毛に光るエロティシズム「どうせ『パパ活』の『パパ』なんだろ?」現代の擦れた観客なら誰もがそう高をくくるに違いない。

しかし、本作が提示する真相はもっとグロテスクで、もっと美しく、そしてもっと狂っている。正真正銘、血のつながった「肉親のパパ」なのだ。それにもかかわらず、パパが仕事から帰宅するやいなや、二人は当たり前のように一緒にお風呂に入る。もちろんお互い全裸である。娘はパパの背中を流し、パパもまた娘の背中を流す。娘の背中にくっきりと残ったビキニの日焼け跡が生々しく、狂おしいほどのエロスを放つ。二人で食卓を囲みながら、パパは静かに打ち明ける。「実は、再婚を考えているんだ」と。この時、娘役を演じる女優の横顔を捉えたクロースアップ・ショットの素晴らしさ!

ピンク映画という泥沼のような現場に身を置きながら、彼女が放つ横顔の佇まいはどこまでもイノセントで、儚く、そして冷酷である。女優の秘められた魅力を極限まで引き出す渡辺護のカメラワークがここにある。ちなみに、パパ役を演じる男優はどこか勝野洋を思わせるワイルドさと男臭さを漂わせており、過去の数々のピンク映画で見たようなデジャヴを感じさせる名演を見せている。物語は一気に加速する。再婚予定の相手を車に乗せ、娘に紹介しようとするパパ。

しかし、その爽やかな車内の描写の裏で挿入されるのは、乳房の上の産毛が太陽の光を浴びてキラキラと黄金色に光り輝く、眩しすぎる濡れ場のカットだ!娘のパパである男が、再婚相手の乳を貪るように揉みしだく。そして、この再婚相手を演じる女優の腋毛が一瞬、フレームの錯視によってマン毛に見えてしまうというトリッキーで活劇的なカット割り! この視覚的仕掛け、このアナーキーな編集センスこそ、渡辺護が単なるポルノ監督ではなく「活動屋」たる所以なのだ。別荘にやってきた再婚予定の女。彼女はひろみの機嫌をとるため、パリで購入したというアクアマリンの高級アクセサリーをプレゼントする。

ひろみは表面上、「まあ、前から欲しかったの! 大事に使って、大事にしまっておきます」と完璧な可憐な少女を演じてみせる。しかし、自室のドアを閉めた瞬間、その顔から笑顔が消え去る。「私に関心を惹くために、こんな高価なものをこれ見よがしに……見栄っ張りな女。いい人ぶってるけど、あの人のそういうところが耐えられないのよ!」少女の胸の中で、黒くドロドロとした嫉妬の炎が燃え上がり始める。第3章:青みがかった海岸、密会、そして「洞窟の眼光」胸のモヤモヤを晴らすため、気晴らしにビーチへと向かうひろみ。そこで彼女は旧友の男友達・コジマと奇跡的な再会を果たす。

さらに、それを遠目で見つめていたあの「赤の他人の別荘でセックスしていたアベック」が合流し、4人は海岸で酒盛りをはじめる。やがて陽が沈み、世界が静寂と冷たさを孕んだ青みがかったトーンに包まれる海岸線。酔い潰れたコジマを別荘の部屋に連れ込むと、コジマは突如としてひろみの上に倒れ込み、強引に彼女を押し倒して襲おうとする! しかし、ひろみは冷徹に、そして力強くその身体を拒絶する。彼女の身体はパパ以外の男を拒み、その心はすでに別の暗黒の計画へと傾斜していたからだ。翌朝。ひろみは奇妙な胸騒ぎに導かれ、いつものビーチの人気のない岩陰へと向かう。

そこで彼女が目撃したのは、パパと彼の「愛人・かおる」との密会現場であった。(どうやら会話を聞く限り、パパはどこかの企業の社長らしい)。この愛人かおるを演じる女優がまた素晴らしく、どこか『ある愛の詩』『コンボイ』のアリー・マッグローを思わせる知的で影のある美女なのだ。岩陰で泣き崩れる愛人かおる。彼女はパパに向かって言い放つ。「お腹の子は、私が責任を持って始末するわ……」と。そのやり取りを、岩陰の上からじっと見下ろすひろみ。去っていく二人の背中を遠目で見つめるひろみのカットから、カメラは「天から光り輝く洞窟のような高所」から彼女の顔面へとズームする。

その両眸! 一切の迷いを捨て去り、冷酷な揺るがぬ意志を宿したひろみの眼光が、スクリーンを射抜く!「あの女を利用すれば、パパを誰にも奪われずにすむわ。パパは永遠に、ひろみのパパでなきゃ嫌……!」ここにおいて、『危険な91才』は単なる少女の性愛映画から、渡辺護の十八番である『あばずれ』や『少女縄化粧』に通じる、底意地の悪い「情念の復讐劇」へとその姿を変貌させるのだ!第4章:残された3分間の疾走と、ジェットコースター的結末別荘の応接間。愛人かおると対峙するひろみ。背景にはアグネス・チャンの『ひなげしの花』の安いインストゥルメンタルが安っぽく流れている。

ひろみは先ほど再婚相手からプレゼントされたばかりのあのアクアマリンのアクセサリーを、こともなげにかおるの手に握らせる。「私、あなたとなら本当のお友達になれそうな気がするの」その頃、別の部屋の風呂場では、パパと再婚予定の相手チカが全裸で乳繰り合っている。まるで劇画『同棲時代』やエロ劇画の1ページがそのまま動いているかのような、濃密なエロティシズムの饗宴だ。しかし、女の嫉妬と企みは、ここから怒涛の旋風を巻き起こす。言葉巧みに、いやらしく、そして冷徹にパパと再婚相手の間に立ち回るひろみ。映画の上映時間は残りわずか!

フィルムが尽きかけるラストわずか3分間で、ひろみはパパと再婚相手の仲を木っ端微塵に引き裂いていくのだ!ピンポーンと別荘のチャイムが鳴り響く。ドアを開けると、そこにはひろみに誘導された愛人かおるが立っている。再婚相手チカが訝しげに尋ねる。「その方は……?」ひろみが悪魔のような微笑みで答える。「パパと再婚なさるお方よ」。それを聞いたパパは狼狽し、かおるに向かって怒鳴り散らす。「き、君は関係ない人だ! すぐに帰りたまえ!」愛人かおるは裏切られた怒りに顔を歪ませ、「最低ね!」と捨て台詞を残して走り去る。

それを見た再婚相手のチカも冷め切った目でパパを見つめ、「私たち、しばらく冷却期間を置きましょう」と言い放ち、怒りに震えて荷物をまとめて去っていく。呆然と立ち尽くすパパ。その横で、狂おしい勝利の笑みを浮かべる少女ひろみ。そして画面には無慈悲に、そしてあまりにも唐突に、デカデカと「終」の二文字が躍り出る!!なんという展開!

残り30分(あるいはフィルムの欠損や編集の怪によって不明となった時間)で一体何が描かれていたのかは謎のままだが、このラスト3分の怒涛のジェットコースター感、駆け足で全てを破壊しつくすカタルシスこそ、渡辺護という映画監督が持っていた「活動屋の爆裂エネルギー」そのものであろう!第5章:ロリコン妄想ファンタジーの系譜と、小水一男(ガイラ)の影中年男がなぜか若い美少女にモテまくり、欲望の限りを尽くす――。言ってみれば、これは昭和のロリコンおやじ(まあ、日本人の精神構造の根底に潜むペドフィリア的妄想ファンタジーと言ってもいい)の願望が全開になった世界観である。

思い返せば、可愛かずみが眩しいセーラー服姿で魅了した『セーラー服色情飼育』もそうだった。美保純のキュートな魅力が弾けた『制服処女のいたみ』や、チープな官能が渦巻いた『痴漢電車 いたずらな指』、さらにはうろ覚えだが『青いスカート 危険な飼育』といった作品群も、全てはこの「中年男の妄想の聖域」をベースに構築されていた。一見すると、このドロドロとした変態的フェティシズムは渡辺護監督自身の作風であるかのように思える。

しかし、映画史を深く掘り下げてみれば、この手の歪んだロリコンファンタジーの多くは、脚本家・小水一男(ガイラ・チャン)の脳髄から分泌された毒素による影響が大きいのではないかという仮説に行き着く。もちろん、この1973年の『危険な91才』の時点では、渡辺護はまだ小水一男と本格的なタッグを組んではいない(彼らが濃厚な黄金コンビを結成するのは70年代後半に入ってからだ)。しかし、すでにこの時代から、渡辺護の映画には「少女の無垢と淫蕩」「中年男の哀愁と欲望」が奇妙なブレンドで混ざり合っており、後のガイラ脚本との共鳴を予感させる地壌が完璧に完成していたと言えるのだ。

第6章:現場者たちの怒号、ハラスメント、そして血煙の昭和映画史だが、スクリーン上の甘美な狂熱とは裏腹に、監督・渡辺護という人物の素顔は、お世辞にも「人格者」と呼べるものではなかった。むしろ、現場においてはパワハラモード全開の、悪評まみれの怪物であったという証言は絶えない。当時彼の現場に関わったスタッフのブログを何気なく読んだ時、そこにはこう書き殴られていた。

「映画監督として尊敬していたが、実際に現場に関わってみたらただのクソ野郎でした」また、大杉漣が著書『現場者 300の顔をもつ男』の中で、名前こそ伏せられているものの(しかし熱心な映画ファンであれば一発で渡辺護のことだと分かる文脈で)、こう回想している。「現場ではスタッフや役者に怒鳴り散らし、いいものを作るという評判の監督だったが・・・」さらに、ピンク映画界のレジェンド・久保新二の自伝を開けば、こんなエピソードも飛び出してくる。

伝説のVシネマ『ミナミの帝王』(まあ、これ自体が『ナニワ金融道』のインスパイア系というかパクリのような作品なのだが)の亜流として作られた『キタの帝王』の撮影現場でのことだ。主演の木村一八と、監督である渡辺護が撮影中に大激突し、リアルな殴り合い寸前の「ヤリあい」に発展したというのだ!百戦錬磨の久保新二にとっては「いつものナベさんの発作か」と慣れっこだったため、「まあまあ監督、落ち着いて」となだめに入ったというが、現場は常に殺気立つような緊張感に包まれていたという。映画を撮るためなら、怒号を飛ばし、人間関係を破壊し、役者を追い詰める。

渡辺護という男は、まさに「映画という怪物」に魂を売り渡した、昭和の歪んだ活動屋の生き残りだったのだ。第7章:古湯映画祭の奇蹟と、消えた『禁断 性愛の詩』そんな「クソ野郎」であり「天才活動屋」であった渡辺護だが、私のお膝元である佐賀の小さな温泉街で開催されていた、知る人ぞ知る「古湯映画祭」にやってきたことがある。第10回古湯映画祭(1993年9月23日〜26日の4日間)。渡辺護は、当時の最新作であり、若き日の役所広司が主演を務めた傑作『紅蓮華』(間違っても『鬼滅の刃』の主題歌ではない!)をひっさげて、ゲストとして堂々と参加していたのだ。

ちなみに、その年の古湯映画祭のゲスト陣の顔ぶれを見よ。石井輝男、大林宣彦、大森一樹、工藤栄一、熊井啓、黒木和雄、沖島勲、佐野史郎、水木薫、小椋悟、橋本以蔵……!映画に興味がない人間が見れば「誰?」で終わる話だろうが、日本映画の深淵を知る者からすれば、気絶するような豪華すぎる凄まじい面々が佐賀の山あいの温泉街に集結していたのだ! ごく限られたピンク映画ファンやカルト映画狂の間で知らぬ者はいない巨匠・渡辺護。彼は湯の香りが漂うその古湯の地で、一体何を語り、どんな酒を酌み交わしたのか? それは今や、当時の観客と関係者のみぞ知る永遠の幻影である。

そして、渡辺護のフィルモグラフィーを辿るたび、私の胸を締め付けて夜も眠れなくさせる存在がある。それこそが、今となっては観ることも叶わない幻の映画、東てる美の銀幕デビュー作『禁断 性愛の詩』だ。あの東てる美が、スクリーンでいかなる輝きを放ち、渡辺護のカメラの前でどのようなエロティシズムを開花させていたのか。それを観ることができないという事実だけで、映画狂の夜は悶々と更けていくのである。

第8章:田代カメラの深淵、そして「住所を紙に書く」という現代の狂気映画が描き出す「覗き見の欲望(ヴォワヤリズム)」について考えていると、ふと一昔前の怪しいインターネットの記憶が蘇ってくる。かつて、ロシアの監視カメラ(IPカメラ)の映像を無差別でストリーミング配信していた怪しげなサイトが存在した。日本の掲示板(ニュー速あたりだったろうか)で実況されていたその映像には、日本の障害を持っていると思われる男性(未成年だったかもしれない)が、仕事(あるいは作業所)から帰宅するやいなや、自室で服を脱ぎ捨てて全裸になっている姿がリアルタイムで映し出されていた。

画面の向こうで繰り広げられる、誰にも見られているはずのない日常の全裸。ネットの住人たちは実況して盛り上がるものの、そのカメラがどこにあるのか、男の住所がどこなのかは誰にも分からない。「誰か助けてやれよ」「住所が分からん」そんな書き込みが交わされる中、誰かがポツリと書き込んだアイデアが強く印象に残っている。「みんなも太字で大きく紙に自分の住所を書いて、部屋の壁に貼っておくといい。そうすれば、設定を間違えてネットに晒された時に、誰かが警察に通報してくれるかもしれないから」今でもあのサイトはあるのだろうか?

日本や海外の個人宅の部屋、街並み、店先、店内……パスワードを初期設定のまま放置し、セキュリティを切った防犯カメラの映像が、今この瞬間も世界中の見知らぬ誰かにリアルタイムで覗き見られている。渡辺護が『危険な91才』のベランダからのカットで描いた「覗き見と欲望の視線」は、形を変えて、現在のインターネットという暗黒の領域にそのまま肥大化して生き続けているのではないか。結章:渡辺護という「活動屋」の魂と、昭和ピンク映画の遺産話を『危険な91才』に戻そう。渡辺護という男は、何だったのか。彼自身、かつてのインタビューでこう語っている。

「昔は映画館に暗くなると胸がシーッ熱くなった。僕らは映画気違い(カツキチ)なんだよ」黒澤明や大島渚のようなエリートたちが日本映画の表舞台で脚光を浴びる中、予算300万円という極限の制約の中で、キャッシュで小遣いをもらいながら年間何本ものピンク映画を撮り続けた「アンダーグラウンドの活動屋たち」。彼らは大手映画会社の衰退を横目に、過激な性描写と、フェリーニやルルーシュへのオマージュ、そして泥臭い昭和の人間模様をチャンプルーのように混ぜ合わせ、独自の「情念の世界」を構築した。

『危険な91才』における、渚の白いビキニ、セミの鳴き声、コーラでの避妊、父と娘の風呂場での背中の流し合い、産毛に光る汗、そしてラスト3分間の怒涛の破局劇――。ここには、単なるポルノを超えた、昭和という時代が持っていた過剰なまでの生への執着と、映画というメディアが持っていた底知れぬカタルシスが詰まっている。どれだけ現場で怒鳴り散らそうが、どれだけ「クソ野郎」と罵られようが、渡辺護がスクリーンの焼き付けたあの真夏の狂熱と、少女ひろみの冷酷な眼光は、半世紀の時を超えた今もなお、私たちの脳腔を強烈に揺さぶり続けているのだ。

映画が終わっても、耳の奥でセミの「ジージー」という鳴き声が、いつまでも止まらない。渡辺護(わたなべ まもる)監督は、昭和一桁代に生まれ、戦後の映画黄金期からピンク映画全盛期、そして自主独立のインディペンデント映画に至るまで、文字通り「フィルムに憑かれた男」として生涯を駆け抜けた映画監督です。提供された資料(フィルモグラフィー、小田克也氏の論考、本人へのインタビュー)を元に、その人物像、映画作りの背景、そして日本映画史における足跡を、1万2000字規模の論考として多角的に描き出します。

一、活動屋になるために生まれてきた男――少年期の映画体験とルーツ1. 映画館の息子として育つ渡辺護は昭和一桁の生まれである。戦争の足音が近づき、やがて敗戦という大きな歴史の転換点をくぐり抜けた世代だった。彼が「活動屋」としての血脈を宿していたのは、生い立ちに大きな理由がある。実家が映画館を営んでいたのだ。小学校の3、4年の頃にはすでに生活の中心に映画があり、文字通り「浴びるほど映画を見ていた」。映画館の暗闇がもたらす高揚感、スクリーンに映し出される物語の魔力に魂を奪われた少年は、いつしか周囲から「カツキチ(活動狂)」と呼ばれるようになっていた。

学校の先生から授業そっちのけで映画館に入り浸ることを咎められ、母親が学校に呼び出されるのは日常茶飯事。家のお手洗いでこっそり映画のプログラムを読み耽り、見つかっては厳しく叱られる——それでも彼の映画への情熱が冷めることはなかった。2. 「ズルコミ」と下町の映画文化当時は娯楽の王様である映画を見るにもお金が必要だった。一日のお小遣いは3銭、しかし子供の入場料は5銭。子どもにとってその差額は大きく、2日間お小遣いを我慢してようやく手に入れる貴重なチケットだった。

お金がない時には、大人の背中に隠れて入場したり、フィルム運び用の搬入口からこっそり潜り込んだりする「ズルコミ」の技を覚えたという。夏場ともなれば、冷房設備のない当時の下町劇場では非常口を開放して客を風に当てた。その縁台のそばに寄り添い、映画が始まると同時に客の流れに紛れて中へ滑り込む。そんな少年時代のスリルとサスペンスに満ちた映画体験が、彼の身体の奥底に「映画=生きる歓び」という刻印を深く押していった。

小学校高学年の頃にはバスで浅草まで遠征し、大東映画、日活、阪妻、千恵蔵、アラカン、新興キネマの市川右太衛門、そして松竹のメロドラマに至るまで、あらゆる作品を貪るように鑑賞した。のちに本人が語るように、小学校6年の段階ですでに松竹映画『純情二重奏』のカット割りをすべて暗記しているほどであり、当時の映画文化がいかに彼の感性を形作ったかが窺える。二、戦後レジームと映画への道――新劇からテレビ、そしてピンク映画へ1. 左翼運動の挫折と映画への回帰戦後、高校生になると荻原朔太郎の詩や共産主義的な思想にかぶれ、早稲田大学に進学してからは全学連の運動にも身を投じた。

ちょうど松川事件や血のメーデーといった激動の時代であり、時代は左翼運動のうねりの中にあった。しかし、山本薩夫のアジテーション映画にはどこか抵抗を感じ、同じ左翼的アプローチでありながらも人間の内面を描いた今井正の『また逢う日まで』に救いを見出すなど、彼の関心は徐々にイデオロギーそのものよりも「表現としての映画」へ向かっていった。やがて「映画にイデオロギーは要らない。もっと自由であるべきだ」という境地に達し、日本映画党を自認するようになる。2. エリート産業としての映画界の壁当時、映画監督への道は現在とは比較にならないほどのエリートコースだった。

大島渚や吉田喜重ら東大・京大出身のエリートたちが助監督として撮影所の門を叩く時代であり、学歴やコネのない者が容易に入れる世界ではなかった。映画への断ち難い未練から、彼はまず八田元夫演出研究所(八研)に入り、新劇の演出部で演劇の基礎を学んだ。当時は演出部の人間も役者としての訓練を受ける必要があり、読売ホールの公演に出演したところをプロデューサーに見出され、なんとTBS(当時のラジオ東京テレビ)の『東芝日曜劇場』で主役を張るという異色の経歴を持つ。

チョンマゲが似合うという理由で時代劇のテレビ映画や学研の教育映画、コマーシャルの助監督など、フィルムに関係する仕事なら何でもアルバイトとして引き受けた。この「役者としてもそこそこサマになる」という器用さとルックス、そして自意識過剰な一面が、のちの人生にユニークな彩りを添えることとなる。三、ピンク映画の隆盛と「アウトロー活動屋」の誕生1. 300万円映画の時代1960年代後半から1970年代にかけて、日本の映画界は五社協定の崩壊とテレビの普及によって急速な衰退期を迎えていた。

その一方で、既存のメジャー映画が敬遠した「性」を前面に押し出したピンク映画が独自の黄金期を築き上げる。「ピンク映画には高倉健も渥美清もいない、だからこそ監督の意志で映画が撮れる」大島渚らの青春映画を見てコンプレックスを抱きつつも、「映画を作れることそのものが幸せだ」と信じる若者たちが、インディペンデントの現場に群がった。渡辺護が監督としてデビューしたのもまさにこの時期である。当初は劇場映画の監督という話に飛びついたものの、蓋を開けてみれば知らない俳優ばかりの低予算現場。

しかし、当時のピンク映画は制作本数も多く、何よりもキャッシュでギャラが支払われる魅力があった。チーフ助監督として破格の報酬を手にした彼は、やがて自ら脚本を書き、監督として一本立ちしていく。2. 多作と情念の構築デビュー作の『あばずれ』(1968年)以降、彼は『紅壺』『処女残酷』『女高生ジャングル』『ただれた性炎』『多淫な痴女』など、驚異的なペースで作品を量産していく。その数、生涯で160本とも言われる。当初は山本晋也や若松孝二、向井寛、新藤衛といった同時代のエースたちに刺激されながら、渡辺護独自の「情念の世界」を構築していった。

映画評論家の斉藤正治が「いまや情念の作家として見直すべきかもしれない」と評したように、彼の作品には常に社会の底辺を漂流する人間たちの哀感と、むき出しの欲望が同居していた。四、渡辺映画のヒロインたち――漂泊と傷ついた女の肖像渡辺護の作品を語る上で欠かせないのが、スクリーンを彩った無数の女優たち、いわゆる「ピンク女優」の存在である。彼は撮影のたびに浅草あたりを歩いて女優を探し求め、「せっかく育てたものは大切にしたい」という信条を持っていた。

彼が描く女人像は、完成された大人の色気というよりも、むしろ「未完成な果実の美」、あるいは社会の隙間に落ち込んだフーテン娘や傷ついた女たちであった。1. 林美樹と辰巳典子――復讐と悪女の系譜60年代後半から70年代初頭にかけて活躍した林美樹は、彼の作品の常連であった。男に虐げられ、裏切られた末に復讐に燃え、犯罪に走るような「悪女」役を林美樹は抜群の存在感で演じた。鋭い視線でカメラをキッと見据える表情は、観客の脳裏に焼き付いて離れない。

2. 谷ナオミ――10年の伴走と大人のロマン『暴欲の色布団』で女高生役として出演して以来、谷ナオミは渡辺護監督と約10年間にわたってタッグを組み続けた。のちに日活ロマンポルノ等でも一枚看板として活躍する谷ナオミだが、渡辺作品の中では、ヤクザの情婦から大学教授夫人、そして『禁断・性愛の詩』における映画監督の妻に至るまで、幅広い役柄を演じ分けた。特に『禁断・性愛の詩』で、若い女性に心を奪われた夫の変容を静かに受け止め、決して騒がず沈着に振る舞う妻の姿は、冷めていく夫婦関係のリアリティを際立たせた。

この作品は監督自身の心情を反映した極私的フィルムとも言われ、新星・東てるみのうみうしさと対比されることで、一世代のレクイエムとしての高い文学性を獲得していた。3. 城新子と芹河美奈――70年代の青春像『16才・愛と性の遍歴』に主演した城新子は、大阪キタのホステス殺しという実際の事件をドキュメンタリータッチで演じ、哀切を帯びた少女の生きざまを鮮烈に表現した。林の中に全裸でさらされた死体の部分だけに黒マスクをかけるという演出の妙も含め、彼女の持つ陰りが作品のダークな魅力を倍増させた。

一方、芹河美奈は奔放なフーテン・タイプであり、『セックスの条件』などで自由な性観を持つ行動的な女性像を提示した。パトロンである中年男のマイホーム主義に幻滅し、貧しい男と打算なしで性を共有する姿は、まさに70年代の新しい青春像そのものであった。4. 青山リマと「漂泊」のモチーフ渡辺作品に登場する女たちには、マイホームに定着する安定感はなく、常にどこかへ「漂泊」しているイメージがつきまとう。ドサ回りの芸能プロの親方に拾われた知的障害のある女性との旅を描いた『多淫な痴女』では、ジェルソミーナを思わせる青山リマの無垢な演技が、人生の哀しみを深く歌い上げていた。

温泉街の風俗や赤線地帯の裏側に生きる人間たちを描くとき、彼の演出は単なるエロティシズムにとどまらず、日本的風土に根ざした深い「無常感」をにじませる。その独特の空気感は、名カメラマン・池田清二の流麗なキャメラワークと相まって、他の追随を許さない独自の映像世界を形作っていた。五、パロディストとしての顔と映画人としての矜持渡辺護のもう一つの大きな特徴は、彼自身が持つ強い「自己意識」と、それをユーモラスに裏返すパロディ精神である。

荒井晴彦が自伝的に書いた脚本『新宿乱れ街・いくまで待って』では、バーで女の子を相手に愚痴をこぼす〈カントク〉役として渡辺本人(あるいは彼をモデルにしたキャラクター)が堂々と登場する。「あんなことばっかり言っているから、作る映画も一部熱狂的ファンにだけしかうけないのヨ」とケチをつけられるシーンは、フィクションでありながら妙なリアリティを放っていた。監督自身が自分の映画の中に顔を出すだけでなく、セリフまで喋ってしまう。それはかつてのヒッチコック的な遊び心を超えて、自らの身を削りながら映画作りを楽しむ「活動屋の生態そのもの」のパロディであった。

同業の監督や脚本家たちと酒を飲み交わせば、世代間の違いから激しい論争に発展し、「表へ出ろッ!」と掴み合いの喧嘩になることもしばしばだった。一回り以上年下の中村幻児と自己作品論を巡って衝突し、数日後には何食わぬ顔でまた一緒に酒を酌み交わす。喧嘩と酒こそが、彼ら映画狂たちの鬱屈したエネルギー源であり、生きる証であった。六、結びに代えて――映画という名の夢の跡「映画を見るやつは不良少年だ」と決めつけられた昭和の時代から、戦後の混乱、そしてピンク映画の爆発的な隆盛期を経て、渡辺護は一貫してフィルムの向こう側に広がる人間模様を追い求め続けた。

エリートたちが作る大作映画の陰で、限られた予算と過酷なスケジュールの中、彼は自らの情熱と独自の美意識だけで160本を超える作品を世に送り出した。そこには、映画に対する純粋な信仰と、泥臭いまでの人間臭さが満ち満ちている。「映画はそんなに立派なものじゃないほうがいいような気がしてる。もっと自由であったほうがいいよね」その言葉の通り、彼の残したフィルムの数々は、時代の風雪に耐えながら、今なお日本映画の裏街道に燦然と輝く「情念のモニュメント」なのである。

相關熱點視頻

公益宣傳欄/說出你的聲音
危険な16才 (1973) Mamoru Watanabe | 八九六四